『腕よりも、心で運転』

HISTORYHISTORY of Chuo Kotsu Bus

Stuttgart to Nara

中央交通バス、シルクロードを走る。 シルクロード
中央交通バス2万キロの旅

1988年、中央交通は歴史に残る一大チャレンジを成功させました。
世界で初めてシルクロード約2万kmを中央交通のバスで走破したのです。
ロマンある旅の思い出をご紹介します。
※国名などは当時の表記となります。

世界初のバスツアー・地球上で最も長い旅行をバスで。

1988年8月5日、西ドイツ(当時)・シュトゥットガルドからバスの旅がスタートしました。
シュトゥットガルドにあるネオプラン社で新車を仕立てて、日本まで持って帰る形でシルクロードを走破したのです。この旅は大野準一社長(当時)の発案によるもので「地球上で最も長い旅行をバスで」という夢を実現させたのです。
中国国内だけは特殊な免許が必要なので中国人ドライバーが運転しましたが、日本人運転手2人体制でシルクロードを走りました。
乗客は社長の他に、お客様が8人と、バスの修理担当者、そしてテレビ局のスタッフが乗り込み、毎日夕方の生放送に旅のリポートを送るといったこともしていました。

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  • 1.ドイツ・シュトゥットガルド 出発式
  • 2.パキスタン・山岳地帯
  • 3.パキスタンの氷河
  • 4.中国とパキスタンの国境

ドイツ・シュトゥットガルドからシルクロードの旅へ。

シュトゥットガルドの広場で出発式を行い、シュトゥットガルトの市長がバスを"マルコポーロ号"と命名。大勢の方に見守られてバスは出発しました。毎日地図でコースをみんなでチェックしながら進む旅で、ドイツのアウトバーンのような道ばかりなら楽ですが、一日中砂漠だったり道がないコースになると、標識だけが頼りになります。
最初の目的地はオーストリア・グラーツ。羊が草を食む草原や、アルプスの山々を眺めながらのドライブ。第二の訪問国はユーゴスラビア(当時)。オーストリア・ユーゴスラビアの国境はかなり厳しい検査がありました。
ユーゴスラビアのベオグラードから、田園地帯を通ってギリシャへ向かいます。

ヨーロッパからアジアへ。歴史的な瞬間にも遭遇。

ギリシャではシルクロードの起点というテサロニケを通過し、アジアとヨーロッパの境界線となるトルコ・イスタンブールのボスポラス海峡へ。海沿いを走っていると、東と西の世界がコロッと変わるのを実感します。イスタンブールにある日本の領事館の方のお宅に招待されました。
イランの首都テヘランに入った時は、イラン・イラク戦争停戦実現の直前で、非常に歴史的な瞬間でした。
マスジェディ・イマーム(王のモスク)が美しいイランのイスファハンを通過し、パキスタンへ。ここで、砂漠にタイヤが入り込んでしまい、パキスタン人にも手伝ってもらって脱出するまで数日かかりました。クエッタを通り山岳地帯を経由してパキスタンの新しい首都であるイスラマバード、そしてフンザへ。

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  • 5.世界遺産/万里の長城
  • 6.トルコ/世界遺産カッパドキア
  • 7.イラン・イラク戦争終結後のイラン

数々の困難を乗り越え、奈良・興福寺でゴール。

中国とパキスタンの国境となるクンジュラブ峠では氷河の横を走りましたが、地滑り地帯で大きな岩が点在し、抜け出すまで3日くらいかかりました。山賊が出ることもある場所で心配でしたが、星空や月明かりが美しく、旅は大変でしたがいい思い出です。
中国国内は中国人ドライバーが運転しましたが、敦煌、西安、北京、上海を走り、黄河を渡り天安門に遭遇。上海港からフェリーボートに乗って、10月3日神戸港へ到着しました。
ちょうど開催されていた『なら・シルクロード博覧会』にちなんで奈良に入り、薬師寺で無事シルクロードを走れたことを報告。五重塔を前にした興福寺で2カ月、2万kmの旅を終えたのです。

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  • 8.エベレストに次いで世界第2位のK2

これからも中央交通バスで、夢やロマンが広がる旅を。

この旅に使った車は特殊な車両でしたから、どこの国にいってもたくさんの人が集まって来ました。そんな時、日本の中央交通バスに対しての誇りを新たにしたものです。
帰国してからもこのバスに乗ってみたいというお客様がたくさんいらっしゃいました。海外の旅で、日本人によるバス旅行の良さを再確認することとなりました。
シルクロードの旅は大きなロマンでしたが、日本国内でもバス旅行の可能性はいくらでも広がります。若い人にもバス旅行に大きな夢を抱いてもらって、私たちの仲間になってもらえることを期待します。